Vermilion::text 11階 ベータ「可能性を否定する者」

今日も此処は平穏である。或る人は此処は空気が乾ききっているので好まないと云ったが私はこの環境が好きである。古びた揺り椅子に腰掛け今にも壊れそうな蓄音機から流れる少しおかしな音色の曲を聴くのが私の日常である。大概客人に邪魔をされるが。
今日は昼過ぎた辺りに客人が来た。客人は旅人だ、と名乗った。何処へ行くのか、そう問うと上迄行くのだ、と答えた。上に進んだって何も無い。此処から出るのが最善の策だ、そう客人に答えた。客人は私に云った、自分で確かめない事には。自分の目で見なければ。若いな、その客人を見て私は思った。好きにするが良い、自分が納得するまで進め。そう答えると客人は軽く会釈をし上へ進む道へと戻った。彼の者のような客人は始終やってくる。皆上へと進むが半日もしないうちにまた此処に戻ってくる。未だ其の果てを見た者を私は知らない。あの客人も其のうち戻ってくるであろう。
そう云う私は、か。かつては上を目指したのだ。今何故此処に居るのかは察して欲しい。気が狂いそうに遠い果てを目指すには相当の覚悟が必要なようだ。私は此処で思いの侭に過ごす。これ以上の可能性は必要無い。