Vermilion::text 60階「曹達水の闇夜」

「先生、何でこんな時間に写生なんて。」ちょうど日付が次の日へ変わったあたり。漆黒の闇の中である生徒が言った。「こんな闇夜になにを描けというのですか。」
*
事の発端はその日の午前中の授業であった。赤きイスカの学園に赴任してちょうど1年ほどたった絵画クラスの講師は10人の生徒たちにデッサンをさせている間ぼーっと考え事をしていた。毎日毎日デッサンばかりでも退屈じゃない?どうせならちょっと奇抜な授業でもしてみたいものだわ。昼間で十分にあった時間を考え事で費やしてその日の半分が終わった。
*
昼食をとりながらもなお考え事は続く。写生なんかも最近はいっていないわね。いってるのはほとんど下級学校のお子様達だしそういうのも悪くないわねぇ。でもいざどこに行って何を写生させる?考えが堂々巡りを始めた。「あんまり思いつめるのはよろしくないですよ」同僚の講師が声をかけてきた。グラスに入った曹達水を渡された。「いい具合に冷えてますよ。」
*
「授業のマンネリですか?」この学園では授業方針は各々の指導者に任されている部分が多い。縛りが少ない故にマンネリにも陥りやすい。「わたし 、センセイなんて柄じゃないからですよ。」「それを言ったら僕だって似たようなものです。最近は絵を描かせてそれを立体化させてみたりしてるんです。大筋のカリキュラムから微妙に外れてますけどね。」ふむ、絵じゃないことか。でもそれは自分の信念に反する気もしないでもない。「ううーん、絵からは外れたくないんですよねぇ。」手に収まった曹達水のグラスをからからと氷の音を鳴らしながらまわした。陽にかざすと透かして見える陽の明るさが眩しい。「あ・・・そうか。」
*
その日の昼の授業は講師の思い付きによって休講になった。その代わりすぐ寮に戻ってしっかり睡眠をとること、23時に中庭に集合、各自写生道具を持ってくるよう指示された。真夜中に?酔狂な。生徒は謎の指示に首をかしげるばかりである。
*
23時、中庭。生徒10人は各自写生道具を手に集合した。講師はランタンを手に大雑把な説明を始めた。「とりあえず、裏山に行きます。できるだけ高いところ。解散は明け方。明日は午前休講にするから安心してください。」
*
約1時間、裏山のなだらかな道をどんどん進んでいった。まったく見当がつかないまま連れてこられた生徒たちは講師の突飛な発想に付き合わされた。「さて、この辺でいいかな。」講師が立ち止まったところはちょうど視界が開けているところだった。「皆さんにはこれから写生をしてもらいます。何枚描いてもらってもいいです。」「先生、何でこんな時間に写生なんて。」ある生徒が言った。「こんな闇夜になにを描けというのですか。」講師は指差した、その先は天。「夜空を描くのが今日の課題です。闇ばかりじゃないわよ。星も瞬くし惑星も見えるし・・・なにより時間の移ろいで表情が変わる。」生徒は全員指差した天を仰いだ。「曹達水のグラスを見てあ、っと思ったの。ちょうど星が闇夜に浮かぶ曹達水の気泡の様だって。明け方になるにつれ表情も変わるし想像力フル活用できるかしら?ってね。」講師は持ってきた曹達水の瓶を生徒たちに渡す。「瓶の底から見えるあなた達の夜空はどうかしら?」